防災アドバイザー 岡部梨恵子の思い

「子どもを守りたい」
「小さな子どもを持つママを支えたい」

私は、2011 年。
千葉県浦安市で東日本大震災を経験したことをきっかけに、防災に取り組み始めました。

一貫して変わらないのは
「子どもを守りたい」「小さな子どもを持つママを支えたい」という思いです。

その思いから、「岡部節(おかべぶし)さく裂!」なんて言われるように、時に言葉が厳しくなってしまうこともあるのですが、それには理由があります。

実は、私は息子を失いかけたことがあるのです。

それは私の息子が10歳の時。息子に、命に関わる大きな病気が見つかりました。

ワンパクすぎて困るくらいの元気な子だったのに、ある日突然身体の痛みを訴え、大学病院に運ばれたのです。

難治性で発症例の少ない病気。
もし薬が効かなければ、一年後生きているかわからない

この医師の宣告を聞いた時、私は思ったのです。

「この子が一年後亡くなるから、私も一緒に死のう。」

本気でそう思うほど、それくらい「子どもを失うかもしれない」というショックは大きかったんです。

・・・その頃の私の幸せは、息子の寝息を自分の頬にあてることでした。

「息子が今日もちゃんと生きている」という実感がほしかったのです。

なにげなく生きてきたけど、

「当たり前にこれからの未来があるということはない」

のだと思い知らされました。

ありがたいことに、難治性の病気ではありましたが、みなさんに支えられて、息子は無事に退院することができ、今も元気に過ごしています。

そして、あの東日本大震災が起きた時。


私は、息子の闘病生活のことを走馬燈のように思い出し、こう思いました。

家が倒壊し、両親が亡くなった方・・・

ご主人が津波に巻き込まれて亡くなった方・・・

震災後、行方不明になっている小さいお子さんがいる方・・・

この方たちは、
大切な人が亡くなった苦しみを、
こんな悲惨な状況の中で、どうして受け止めないといけないのだろうか?

もし、防災知識があったら、悲しい思いをせずにいられた方もいたのではないだろうか?

大切な命を守り切れたのではないだろうか?

地震大国日本です。

恐ろしいことですが、これからも日本には大きな地震がきます。
だけど、あなたが子どもを、大切な家族を失う苦しみは、絶対に味わってほしくない。

私は、東日本大震災が起きたとき

「どんな困難な状況でも、大切な子どもを守り抜く」

そう心に誓ったのです。

だから必死になって勉強をし、ここまでやってきました。

ずぼら主婦の私が子どもを守りたい一心で取り組んできた防災。

その知識や防災術は、自分だけでなく、
子どもを育てているお母さんたちへ伝えたい。

大切な子どもを、大切な家族を、
守ろうしているあなたのお役に立ちたい

そう、心の底から思っているのです。

私の防災術をお伝えするために、全国を飛び回って、これまで述べ25,000人以上の方に、講演やセミナーをお届けしてきました。

ただ、誤解しないでいただきたいのです。私は、セミナーで「先生」と称えられる実績が欲しいわけではありません。

だって、100回やろうが1万回やろうが、防災備蓄ができる方がもっともっと増えない限り、それは自己満足にすぎませんから。

防災の世界に入ってしばらくして知ったことですが、有名な防災アドバイザーの中には、スポンサーがついている方がいらっしゃいます。

スポンサーから活動費用を出資してもらう代わりに、商品を紹介している場合があるのです。

防災活動も資金が必要ですからある意味仕方ないと思います。

だけど、防災アドバイザー岡部梨恵子は、スポンサーは取らない!と決めています。

『自分が実験や検証して、中身も値段も含めて、本当に必要な情報・本当にいいものだけを紹介したい』

という自分の芯がぶれてしまうからです。

防災用品をいくつも試すのは、正直費用がかかります。けれど、それは主婦の皆さん同じなんです。

家計をあずかる主婦は、日々、頭を悩ませながらやりくりしています。その中から何とか費用を捻出して、大切な子どもと家族を守るための防災備蓄に当てています。

それは主婦にとって、決して安い金額ではありません。

だからこそ、選んで良かった、本当に役に立ったと言えるものだけをご紹介したいのです。

そして、1人でも多くの方が、本当にいい防災対策や備蓄ができるようになるために、これまでも、そしてこれからも活動して参ります。

子どもたちに、命のバトンを、未来をつなぎ続けられることを願って。

防災アドバイザー・防災士 岡部梨恵子

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